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コラム


2006年に「ファンモバ」で更新していた「ダイアリー」。抜粋してアップしまーす。

 

○月○日
 さて、いまこの日記は、名古屋で書いています。名古屋は、僕の中でもオナジミ感の強い土地なのだけれど、まだまだ未知の事ってあるなあ。名古屋の食べ物と言えば、手羽先、味噌煮込みうどん、きしめん、櫃まぶし、あんかけスパ、などが全国的に有名だし、僕も経験済みですが、地域に根ざしたファーストフード「すがきや」のラーメンを僕は今まで一度も食べた事がなかった!そして昨日初めて大須で食べました。さすが長い歴史の中で支持されているだけあって、280円というお値段にも驚きですが、とてもオイシかった。味以上に僕が「どうして今まで知らなかったのだろう!」と自分を責めたのが、すがきやのスプーン(フォーク?)です。こんな形のスプーンの存在を認識していなかった自分を叱りました。どんな形かは、実際に名古屋地区で体験すべし!

 

 

○月○日
 京都のイベントの前日、友人と万博の「国立民俗学博物館」に行って来た。1977年に出来たこの施設に今まで足を運んでなかった自分に悔しさを覚えた。ここはどういうところかと言うと、1970年の万博のテーマ館(つまり太陽の塔)のプロデューサーを「岡本太郎」さんが引き受けた時、テーマ館の中に世界各国の民族の間に土着する「仮面」や「生活工具」などを集めたい!ということで、当時展示されたモノを中心に、その後も世界中から更に収集して現在に至っているというもの。イヤー、エネルギー溢れている展示物の数々!理屈では説明出来ないとてつもない場所だった。行ってみ!

 

 

○月○日
 東京で暮らして正確には何年になるのかなあ?現在の住まいに移って14年目。14年前に大阪にもあったマンションを引き払い「東京統一」にした。それまではレギュラー番組の関係もあって、東京、大阪両方に部屋があった。そして、そんな暮らしをする事が、ちょっとした夢でもあった。「東京と大阪両方に部屋と車がある暮らし」。24歳でデビューした直後から文化放送の「吉田照美のてるてるワイド」内で「嘉門達夫のMay I Help You?」という番組のレギュラ−を担当し、それ以来東京で仕事がある時は六本木あたりのホテルに泊まっていた。その後は参宮橋の友人、放送作家の水野しげゆきのマンションに、仕事がある時は転がり込んで泊めてもらっていた。29歳の時に東京で初めて自分の部屋を借りた。場所は戸越銀座。そこに1年半ほど住み、今度は白金台のマンションに引っ越して、ここにも1年半。そして広尾に1年住んだあと現在の場所に落ち着いて14年。以前は大阪にも部屋があるし、いつでも帰れるや、という思いがどっかにあったのかもしれない。今では、ずっとこの街で暮らして行こう!という思いで現在に至っている。
 今日は「部屋の変遷」についてでした。

 

 

○月○日
 韓国に行って来た。13年振り2度目。13年前は友人の放送作家達と一泊二日焼き肉の旅だった。初めての韓国だったので、観光ガイドブックレベルのところしか廻れなかったけれど、まあそれはそれで楽しかった。あれから13年。今回は、僕がよく行く焼き肉や「T」のオーナーSさんコーディネートの二泊三日韓国ディープグルメの旅。Sさんはこだわりの男だ。いつも僕らはお店に行く時、無茶なリクエストをする。「Sさんの焼き肉がウマイのはじゅうぶんわかったから、今度はSさんの作るスキヤキが食べたい!」とか「牡蠣チゲが食いたい!」とか店のメニューにないスペシャルなプログラムを要求し、日を決めて営業時間が終了してから7〜8人で特別料理を食す機会がすでに数回。今回の旅は、いわばその延長線上にある。Sさんの組んだスケジュールは完璧で、カルビスープの店、冷麺専門店、郊外のフレンチコリアン創作レストラン、フグチゲ、サムゲタン、市場巡り、韓国ジンギスカン、それはそれは中身の濃い3日間だった。そしてフリータイムに街のあちこちを歩いてみたが、去年行った上海同様「同じ民族感」を感じた。いろいろ問題はありましょうが、もっとみんな仲良く出来るといいのにな。

 

 

○月○日
 自宅の給湯システムが壊れた。ウチのマンションは築18年。マメに改修工事をしてはいるが、ここ2〜3年「買い替え時」が続いている。ガス釜が老朽化して、シャワーが出なくなったのだ。今までなんとか誤摩化しつつ使っていたが、今回は元から交換しなければならないらしい。その間シャワーは使えないので、浴槽に水を入れて「連続追い炊き」してお湯になったモノを洗面器で汲んではかぶっている(追い炊きは出来るのよ)。僕がここに越して14年経つが「電化製品寿命10年説」がある?ように、3年前には洗濯機と乾燥機(別々だった)を、ドラム式の洗濯乾燥機に買い替えたし、つい先日も冷蔵庫があまりに「ワーン!ワーン!」とウルサいので交換したばかりで、老朽化したシステムに対する出費が続いている。そして、次はいよいよテレビである、という覚悟は出来ている。36型のブラウン管式のテレビは、2年前に「ヒュン!」という音と共に何も映らなくなった。その時は1万5千円の修理代を払って、なおしてもらった。プラズマテレビはまだ高いとは言え、一時よりは安くなって来た。今のテレビが再び「ヒュン!」という音と共に何も映らなくなったらテレビ世代交代の時だ。

 

 

○月○日
 熊本に行って来た。RKKラジオの公開放送の仕事だったのだが、レコーディングを終えて少々羽根を伸ばしたかったので、二日ほど早く熊本入りして遊んで来た。最近「神社」に興味のある僕が行きたかったのは「阿蘇神社」と「弊立(へいたて)神社」。「阿蘇神社」はとても風格があり「弊立神社」は相当謎めいた雰囲気の神社でそれぞれそこに足を運ばなければ感じ得なかった「何か」を感じて帰って来た。途中立ち寄った江戸時代に造られた石橋「通潤橋(つうじゅんきょう)」の佇まいが相当良く、今まで認識していなかった事を後悔した。阿蘇山にも車で登ったが、ちゃんと行ったのは高校の修学旅行以来で「米塚」の神秘的な形や仏さんが横たわっているように見える山並みを見て、阿蘇そのものの持つ雄大な包容力につつまれるのが気持ちよかった。全国何周もして来た僕だが、当初はスケジュールに追われ、放送局とライブ会場と空港と駅を行き来するだけだった。最近は、いろいろその土地の事を調べてから赴く機会が多く、その独特の文化や歴史に積極的に触れるようにしている。狭い日本とは言え、まだまだ見知らぬ事が多くあり興味は尽きない。この国は相当奥が深くて面白い。

 

 

○月○日
 自宅から徒歩5分のところに「岩盤浴」が出来た。今や大ブーム。去年ジンギスカンの店が東京のアッチコッチに出来た時のような増え方で、サロンが増加している。オープンしてから1ヶ月はサービスプライス90分2500円。試しに一度行ってみたら、あまりの気持ち良さにすっかり虜になり、現時点で12回行った。正しい岩盤浴のやり方は、良く汗を吸い取る作務衣を着て、平らなツルツルした岩の上にバスタオルを敷いて、まずはうつ伏せになって5分。そして、仰向けで10分。外に出てクールダウンを5分。このセットを3回こなすのがヨイ、とされている。入口で500mlのミネラルウォーターのペットボトルを受け取り、水分を補給しながら寝そべっている。そらまあ、信じられないくらいの汗が毛穴から吹き出す。ジョギングなどでかく汗はジトッとしているが、岩盤浴の時はサラサラの水の様な汗だ。その様子が面白いので、最近は入る前に、必要以上の水を飲んでから横たわるようにしている。二日酔いの時など、特に気持ちがヨイ。どうせ家で寝ているのなら、岩盤の上で寝ていよう、と出かける。おそらくそのサロンで、僕はトップクラスのお得意さんである事はマチガイない。

 

 

○月○日
 何かを体験し、何を感じ、その刺激によって自分の中から何が生まれるか?そんな繰り返しをずっとやって来た。自分の制作に没頭する時期には、他のモノは受け付けない。自分の中のモノをある程度形にして吐き出せば、他の栄養素を体と脳みそに入れたくなる。で、新しいシングル、アルバムが出た直後の今は、栄養を求めているので、スケジュールの合間を縫っていろんなところに足を運んでいる。渋谷シアターコクーンでの中村勘三郎さん主演の「東海道四谷怪談」。コクーン歌舞伎ももう10年。様々な新しいアプローチが毎回素晴らしいが、今回は10年前コクーン初演時の「南番」と、新たに串田和美さんが演出をした「北番」の2種類の公演が行われた。僕は10年前にも観た「南番」を観に行った。舞台にプールを造っての大立回りは相変わらず圧巻で、歌舞伎の域を越えている。その数日後、ある場所で今回の舞台に出演している中村扇雀さんに会った。「南番みましたー」と言うと「それじゃあ絶対北番も観た方がいい!第一僕の出番が多い!」と言われ、無理言ってチケットをおさえてもらって「北番」も観た。同じ話なのにそのテイストの違いが大変興味深く、僕の栄養のメモリがかなりあがった。

 

 

○月○日
 宇崎竜童さんと阿木燿子さんが経営されているライブハウスに出た。いろんな縁を経ての出演と相成ったのだが、お値段安くレベルの高い食事をしてからのライブタイム。50人ほどを前に唄ったのだが、なんとも感慨深かった。と言うのも、僕は高校時代「ダウン・タウン・ブギウギバンド」の大ファンで、友人から譲り受けた「ツナギ」を着てコンサートに出かけた事もあるし、その後も一方的に宇崎さんのメロディーに多大なる影響を受けている。僕が高校2年以降は僕の大好きだった「山口百恵」さんの楽曲を多く手掛けられ、当時から「なんてカッコイイアーティストであり夫婦なんだろう!」と思っていた。そんな憧れのお二人のお店で唄える機会がやって来るとは!せっかくなので僕は「宇崎竜童替え唄メドレー」を引っさげてステージに立った。そしてありがたい事に客席には宇崎さんご本人が居て、最後までずっと見ていてくれて、終演後も楽屋で90分以上いろいろ貴重な楽しいお話を聞かせてもらった。宇崎さん、還暦なのよ。どうすればあんなにカッコイイ60歳になれるのか?そして僕にとっての「阿木さん」は?理想は高く掲げよう!素晴らしい大先輩の懐を借りにちょくちょく唄いに行かせてもらう。

 

 

○月○日
 今のヘアースタイルになって丸6年。とても気に入っているし、当初から違和感はない。2001年、けっこう僕は煮詰まっていた。今振り返れば、どこに向かって進めばよいのか迷っていたのだと思う。僕という「入れ物」の見た目を変えれば、生まれる「唄」も変わるのではないか?と思いジョギングをして体重を13キロ絞った。それまでのオールバックのヘアースタイルにも飽きていたので、金髪にしよう!と金キラに染めて事務所に行くと社長が「金髪にするのはいいんだけど、もっとこう40代にふさわしいヘアースタイルになんないの?若者に媚びるカンジじゃなく、それなりの落ち着きと風格ある金髪にしてよ!」と言われたので、長年僕のヘアーメイクをやってくれている「黒須さん」にそのまま伝えたら、今の色にしてくれた。結構手間がかかるのよ。まず普通に脱色して、そこに青を入れて一度流して今度は茶色をいれるとこのような色になる。全工程2時間半。2〜3週間に一度はカット&カラーに行っている。どうやら僕の頭皮は強いらしく、6年に渡るブリーチに何のダメージも受けていない。ありがたい事にハゲる気配もないし白髪もない。もうしばらくこのヘアースタイルでいくつもりだ。

 

 

○月○日
 ジョギングはときたまやっているが、スポーツジムというところに行った事がなかった。風を感じながら走る事こそがジョギングだと思っていて、大通り沿いなどのガラス張りのスタジオの中でランニングマシーンの上を走る人達を見て「ハムスターみたい」と思っていたからね。でも、禁煙の影響か、体重が3キロばかし増えて「もう少し絞っておいた方がいいか」という事で、渋谷のフィットネスクラブの体験コースに行ってみた。最初に体脂肪を計ったら、あと7キロくらい絞るのがベストと言われた。ほう、2001年に68.5キロまで落としたあの時の体重に戻せと言うのか?筋力をつけるマシーンをいくつかやってみた。いちいち理にかなっているな。しかし、ランニングマシーンは、やはりハムスターみたいやな。それにオレの横ではメッチャ腹の出たオッチャンが汗を流しているし(だから来てるのだろうが)乳首ピアスをした、マッチョのニイチャンは、何度も僕に色目を使い、しょっちゅう目が合う!(気のせい?)渋谷という場所、いわゆる人の流れが激しさゆえの人種のバリエーション?ほかの場所のフィットネスも体験してみて、このシステムが向いているかどうか判断してみよう!

 

 

○月○日
 一昨年の夏に自宅マンションのルーフガーデンをキレイにした。と言うより、せっかくそんなステキなプチ野外生活空間のある部屋で暮らしているのに、ほとんど使用する事がなく、日光浴をする程度だったのを、遊びにきた友人が「これじゃあ宝の持ち腐れですぜ!」と、自らベランダ改造計画を立ててくれて、人工芝を敷いたり、スノコを置いたり、テーブルを並べたりして、とても素敵な空間にしてくれた。去年と一昨年は、友人が来た時に料理を持ち出し、夜空の下での宴会なども数回行われた。鍋もやったが「実際に火をおこして何かを焼く!」という域までは至っていなかった。んで、今年は七輪を買った。いくらだと思う?2700円。炭をはさむ、あのトングみたいなヤツ、これは安い!260円。これらのモノの値段について考えた事がなかったので、面白い経験だった。最初炭に火が移す作業が手こずった。発火剤なども使ってみたが、鍋の底が網みたいになっている「炭おこし」をガスコンロにかけるのがイチバン早い事がわかった。火が起こったらうちわで扇ぐのもヨイが、電気のコンセントもあるのでドライヤーの風で下からあおるともう完璧!「エセアウトドアライフ」を楽しんでいる。

 

 

○月○日
「何本くらいギター持ってるんですか?」という質問をよく受ける。現在実戦で使っているのは2本で、それ以外に4〜5本は臨戦態勢OK。17年前から「Takamine(タカミネ)」のモニターをしているので、ほとんど「Takamine」を使っていて、特注で黒く塗ってもらっている。随分前に名古屋在住の友人「伊藤秀志」が「Yairi(ヤイリ)」のギターをくれた。10年以上、妹の旦那に預けておいたのだが、一昨年弾いてみたらムチャクチャ良い音になっていたので、強引に他のギターと交換してもらった。これは主にレコーディングで使っている。
 デビュー当時弾いていたのは、高校の時甲子園で売り子のバイトをして買った当時7万円の「キャッツアイ」のヤツだった。その後25の時に「ギルド」を買い、28で「オベーション・ポールサイモンモデル」を買って「笑っていいとも!」などで弾いていたがいつの間にか盗まれていまだ戻って来ない。そこからはもっぱら「Takamine」。20本近い「Takamine」が僕の体を通り過ぎて行った事になる。僕は比較的激しく弾くので、ギターも消耗品的なところがあって、ボディーに穴が開いたりした事もあった。今後死ぬまでに何本のギターが通り過ぎて行くのだろう?

 

 

○月○日
 前回、ギターの変遷を記したので、今回はメガネについて。そう「ココだけの情報」的なモノを発表するのにこの場はふさわしいとようやく気付いた。
 元々22歳くらいまではメガネをかけていなかったし、視力も悪くなかった。上目使いで人を見ていたのか「目つきが悪いし、顔に特徴がない!」と、みんなから言われ23歳の時にダテメガネをかけだした。最初は茶色いフレームのそこいらに売っている安いヤツだった。24、25の時は「白山眼鏡店」の黒ぶちのヤツをかけていた。その後いくつか黒ぶちが続き、グレー、ブルー、透明とフレームの色は変化を続けて30歳になった。ここまではサングラスではない普通のメガネ。視力もいつの間にか裸眼で0.2になり、以来現在までたいして落ちてはいないが近頃は老眼が入ってきたのはいたしかたがない。30代に入って「唄う時はサングラス」というスタイルになった。現在愛用しているヤツは、服飾メーカーの「ニコル」が15年くらい前に製造販売していたモノで、現在はもう売っていない。普段がけの赤やシルバーフレームで透明のメガネは、友人の「笑瓶」に数年前に紹介してもらった原宿の「ロイド」もしくは代官山の「アバーロ」のモノを愛用している。

 

 

○月○日
 「東海道」と言えば「新幹線」と思っていた。イヤ、移動の話。飛行機を使う事もあるが、今はおおむね新幹線。「のぞみ」は2時間半で東京ム大阪を結ぶ。「最終に乗り遅れる」なんて事は今までなかった。こないだ小学校時代の友人5人と大阪で飲んでいて最終に間に合う時間を見越してタクシーに乗ったのだが、花火大会の渋滞にはまってしまい新大阪に着いた時には最終は出たあとだった。一緒にタクシーに乗っていた友人も東京在住で「高速バス」で帰ると言う。「じゃあ、僕もバスで、、、」となって「東海道『初』バス」。運賃がなんと4200円!ええっ!そんなに安いの?こないだ赤坂から自宅までタクシーに乗ったら4300円だったよ!知らなかったなあ。夏休みという事もあり、ディズニーランドやらへ行く女子高生が半分くらいを占める車中、僕と友人は22時発のバス後方シートに身をうずめた。東海道は何百回と行き来しているので「あ、もう豊橋まで来たか!」などと把握しながら走る深夜のハイウェイ。東京駅に着いたのが朝6時。そこから僕は車を停めてある新横浜まで新幹線で戻り、7時には自宅に到着。かつての「スキーバス」的な気分も味わえて楽しい「初東海道バスの旅」だった。

 

 

○月○日
 今日は「私の体を通り過ぎて行った自動車」について。僕が免許を取ったのは少々遅くて27歳の時だった。最初に乗ったのが「ホンダアコードエアロデッキ」。免許が交付される試験場に納車してもらい、免許を受け取ってすぐに新車を運転して家に帰った。その頃の夢は「東京と大阪両方に部屋と車がある暮らし」をする事で、29歳の時に東京に部屋を借りてモスグリーンの「ミニクーパー」を買った。大阪の車も「ユーノスロードスター」に乗り換えた。しばらくして友達の「高見恭子」ちゃんが黒のオープンカーの「ポルシェ」を売りたい、と言うので買う事にした。そこから黒いポルシェばかり4台乗り換えた。最初は「オレがポルシェ?」と思ったが、15年も乗ると馴染んでくるから不思議だ(え?馴染んでない?エライスンマセン!)。最初の頃はちょっとしたハッタリ気分も確かにあった。で、一昨年ポルシェから卒業して、今は赤い「アルファロメオ」に乗っている。遊びのある車に乗り換えたくて、車に詳しい友人に「僕に似合う車はなーに?」と聞くとアルファが絶対!というので即決断!イタリア車はよく故障すると聞いていたが、今はそうでもなく、快適にかる〜く、軽く乗り回している。

 

 

○月○日
 STVラジオの公開録音で網走に行って来た。刑務所じゃなくて、雄大な北の大地でのステージ。見渡す限り延々畑!畑!畑!天気も良くて風が気持ちいい。北海道もいろんなところへ行ったさ。3年前には北海道だけで12カ所ホールを廻ったし、網走はあの時以来だ。その前は26年前、破門になって放浪していた時。さて、無事ステージも終わり、女満別空港から飛ぶ飛行機の時間まで5時間もある。STVのスタッフは「せっかくですから観光でもして帰って下さい」と言ってくれている。この町一番の見所「網走監獄(刑務所の歴史や、変遷がわかりやすく展示してある)」は3年前に行ったので、今話題の世界遺産に登録されたばかりの知床半島まで行って「知床観光船おーろら」に乗る事にした。ステージが3時に終わって、船が出ている「ウトロ港」まで車で1時間15分。4時半の船にのって1時間半かけて海から半島の奇岩や滝、山々を望む充実のコースだ。いやー、秘境よ秘境。ええもん見たわぁ。こういう機会がなかったらなかなか来られないわ。時刻も丁度サンセットと重なり、オホーツクに沈む夕陽がこれまた美しい。18時に港に戻り、空港まで1時間半。飛行機の時間にもピッタリよ!とても有意義な時間でした。

 

 

○月○日
 赤坂にある「宇崎竜童・阿木燿子夫妻」がやっておられるライブハウスに今年3回目の出演をして来た。食事も楽しめるアダルトなスペースでのライブは、とてもお客さんとの距離が近く、僕もリラックスして唄っている。今年は12月にもう一回唄いに行く。先日はリハーサルが終わって、1時間余裕があったので、赤坂の街に走りに出た。夕方の赤坂を走っている人はまぁ居ない。赤坂から青山通りに出て「豊川稲荷」を発見したので、初めて入ってみた。いつも車で横は通っているが、中に入るのは初めてだ。ご本尊前の狐のデカさにビックリ!豊川稲荷を後にして、坂を下ってゆく。ホテル・ニューオータニを右手に見て左折すると「迎賓館」の入り口に差し掛かる。トットコトットコ走る。「赤坂御用地」を丸1周して青山通りに戻って来た。さすが「赤坂御用地」、1周するウチにおまわりさんが10数人点在していた。ここは皇室に関係する場所だとは知っていたが、途中でおまわりさんに聞いてみて、天皇陛下以外の皇室のみなさんがこの場所に暮らしておられる事を知った。車に乗っていては感じる事の出来ないその土地の空気を、ジョギングだと感じる事が出来て、今僕は「東京走り」が気に入っている。

 

 

○月○日
 昔から「風神雷神」が好きだ。そしてここ最近不思議と縁がある。先日も和風の巾着を探して街をウロウロしていると、今僕が気に入っているカラー「赤黒」のいいのがあったので、手に取ると「風神雷神」の模様だった。その横にあった近頃流行りの和風のキャップも「風神雷神」。共に購入。先日仕事で行った名古屋。待ち時間に大須商店街を歩く。かつてはさびれていた大須。ここ数年の活況はめざましく、日本人、外国人交えて人や店がひしめき合っている。洋服屋の店頭で「風神雷神」のスカジャンを発見!店内には「風神雷神」のTシャツもあってマタマタお買い上げ。そんなさなか東京の出光美術館で「国宝 風神雷神図 屏風」の展覧会が開催されていた。レコーディングが終わったら行こう!と決めていたので、閉幕間際ギリギリ滑り込んだ。「風神雷神」が3つあるとは知らなかったなあ。まず「俵屋宗達」のモノ。そしてそれを模写した「尾形光琳」のモノ。そしてそれをさらに模写した「酒井抱一」のモノ。それぞれの違いがわかりやすく展示されていた。ダントツに「宗達」のヤツがいい。この躍動感、愛嬌のある顔。なんだか知らんがとても惹かれる。

 

 

○月○日
 山口県山陽小野田市で唄ってきた。山口は、母方の祖父母が徳山に住んでいたので、子供の頃よく母の里帰りで行った思い出深いところだ。おじいちゃんに連れられてよく行った「徳山動物園」、岩国の「錦帯橋」、「秋吉台」、潮干狩りをした「光の海水浴場」、高校受験の合格祈願に行った「防府天満宮」、そして縁合って去年は関門海峡のキャンペーンのキャラクターもさせてもらった。徳山のおじいちゃんとおばあちゃんは、駅前のアーケードのあるマンションに住んでいて、おじいちゃんは仕事をリタイアしておばあちゃんがマンションで料理教室をやっていた。連日若い花嫁修業中のお姉さん達が料理を習いに来ていた。高度成長期の徳山は、コンビナートがあってとても元気ある街で、大阪のまだ万博がやって来る前の片田舎「茨木」から訪れると、地方に行くのに感覚としては「都会」に行くワクワク感があり、よくひとりでアーケードに中をウロウロしていた。まだ新幹線が走っていない時代で、大阪から「こだま」で6時間かけて行った。幼児だった僕は、母が電気釜を欲しがっていたので、知恵をつけられ「おじいちゃん、電気マガ買うてー!電気マガ買うてー!」と連呼し、うまい具合に我が家に電気釜がやって来たそうな。

 

 

○月○日
 チューリップの球根を植えた。3年目だ。現在15年間暮らしているマンションにはけっこう広いルーフガーデンがあって、隣接する部屋によっては仲間が集まってバーベキューパーティーなども行われていたのだが、3年前まで僕は、積極的にルーフガーデンに出る事をしなかった。その快適さを知らなかったし、それどころでもなかった。3年前に友人が「せっかく外に出られるのに、なんというもったいない扱いをしてるんですか!人工芝を敷いて、テーブルと椅子も置いて、素敵な空間にしてあげます!」と、数日かかって「楽園」を作ってくれた。秋になって「チューリップを今植えると、それはもう楽しい『春』がやって来ますよ!」というので、手つかずだったプランターを掘り起こして、新しい土や肥料も入れて球根を植えた。そして春。色鮮やかな赤や黄色のチューリップが見事に咲いた。これはとても楽しく、心豊かになる事なのだと初めて実感した。ほんの3年前。職業柄、世間の人達の感性とはズレがあり、そこから作品が生まれる事も多いが、あまりにも基本的な事を知らずに愕然とする事がある。逆を考えると、ここから先、普通の人が当然だと思っている事柄の中に、僕にとっての感動の種まだまだ眠っているのかもしれない。



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